2019年06月04日

自立できない

先日、「精神的自立」について
ブログを書きましたが
相談される方の中には
【親を捨てられない】
などと言われる方もいます。

色々な家族の形がありますが
その家族が
【機能不全を起こしている場合】
別々に暮らす選択を勧めますが
それが「家族を捨てる」ことに
つながるわけではありません。

核家族化している社会で
一般的な流れとして考えてみてください。

高校を卒業して大学で上京する人、
就職して上京する人、
結婚して地方へ移住する人、
形はそれぞれですけれど
【大人になって
  親元を離れるのは
      自然の流れ】であって
家族を捨てたことにはならないのは
あなたにも分かりますよね?

ですが、
親子関係に課題が残っている場合
子ども側の人が
【見捨てる感覚になり】
家を出られないこともあれば、
【親が泣きつく】という
相談を受けることもよくあります。

「私たちを捨てるのか!」
「お前はもうこの家の人間ではない!」
「家を出るなら二度と戻ってくるな!」
などと”捨てゼリフ”を吐かれ、
【子どもの自立の
    足を引っ張る親】
とても多いのが現状です。

ですがこれは
【健全ではありません】

本来であれば、
自然に親子の距離ができて
自然に離れていけるのですが
【依存関係にある場合】
それは自然に叶わないのです。

それでも「自立」を望むのなら
親の立場の人は
子どもに出て行ってもらうよう促し
子どもの立場の人は
自ら出て行く準備をしてください。

世の中、色んな家庭があります。
自立してほしい子ども(成人)
自立させてくれない親…
お互い、
【永遠に一緒にいられる
     わけではないのに】
自分の課題を乗り越えられず
相手にしがみついているだけです。

【離れても、永遠に家族】
であることに変わりはありませんよ。

勇気は要ることと思いますが
現状を変えたいと望むなら
一歩、踏み出してみましょう。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己改革

2019年02月15日

残り物には福がある?

明らかに義理だろ!クッキーを
昨日息子が持って帰ってきました。
お隣の女子高では、
女子同士の交換し合いっこが
毎年恒例だそうで
「たぶん余るからあげるよ」と
あからさまな「義理」以下の
「残り物」ですよねwwwww

ところで、
昔から「残り物には福がある」と
言われていますが
本当に「福」があるかどうか
考えてみたいと思います。

例えば、
ランチ会を自宅でやっていて
メンバーの誰かが差し入れてくれた
お菓子が目の前にあります。

あなたは何番目に取りますか?
または、
何が欲しいか言えますか?

私たちは、だいたいの場面で
話し合って分け合いますが、
その時、意見を言える人と
言えない人に分かれますよね。

そして
【残り物を手にする人は
    意見の言えない人】です。

意見の言えない人は
・意見を聞き入れてもらえない
・嫌われるのが怖い
・どれが好きか分からない
といった、ネガティブな考えを
持っていることが多いです。

それで、残り物を手にして
「それなりに美味しかったから」と
納得してしまいます。
もし、好きなお菓子を選んだ人が
思ったよりおいしくない…と言えば
残り物を手にした人は
なおさら「ラッキー」でしょう。

つまり、
【残り物が
  福になるかどうかは運】
もしくは
【考え方次第で福】なのです。

それならば、
最初から欲しいものを言えた方が
【後悔が少なくて済みます】

意見が言えない人の勘違いとして
【意見を言えば通るもの】
思い込んでいるところにあります。

たとえ意見が言えたとしても
それに対する反論や同意や
【さまざまな交渉が】
起こり得る状況で
最終的に自分の意見が却下された
【ネガティブな結果だけを覚えて】
言えなくなってしまったという
ケースは少なくありません。

この「思い込み」を外すことが
残り物に頼らなくて済み、
【自分の思いを
   素直に表現するために】
大切なことなのではないでしょうか。


次回は、
「意見を言って嫌われるケース」
について書こうと思います。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己改革

2019年02月13日

「かわいそう」という感情

日本人は特にそうなのかな…
と思うのですが
「かわいそうね」という言葉を
使う人っていますよね。

サラッと言うのではなくて
心からじわっと言う感じの
「かわいそう」という意味です。

それは、
【共感の域を越えています】
こうした愛他意識などは
文化や成育環境の影響を受けています。

カウンセリングの場面では
同情ではなく共感するのですが
もしカウンセラーが
同情してしまったとしたら
【職域を超えた
   対応をしてしまい】
それでうまくいくことも
あるとは思いますが
ほとんどのケースで
【悪化もしくは共倒れ】
なってしまうでしょう。

そして、今は昔と違って
協調性を必要としながらも
【個人主義の時代】ですから
(特に都会では)
同情する人もされる人も
多くの人たちが
・自分の足で立ち
・自分で意思決定をし
・自分をアピールする
ことなどを求められます。

ですから、
たとえ家族関係であっても
「かわいそう」の領域で
助け合っていると
【社会に適応できなくなる】
可能性があるのです。

かといって
見棄てればいいのか、
ということではなくて
【自分のことは自分で】
というスタイルが大切です。

家族同士って
甘えが強くなりがちですよね。
お互い、頼ってしまおうと
するのは当たり前のことです。

けれども
【社会との関わりは
    避けられない】ので
みんなで話し合って
どこまで寄りかかるのか
線引きをしておくと良いです。

また、他人であっても
その場の感情で判断せずに
【援助して良いかどうか】
しっかり考えてください。
時に「かわいそう」というのは
【相手に失礼な場合があります】

というのも、その人自身は
自分をかわいそうだなどと思わず
自分で頑張ろうとしているのに
「かわいそうな人ね」と
頼んでもいないのに
先回りして援助されたら
【成長を阻害されて】しまいます。

私たちは、
協調を保ちながらも
【一個人として生きる】覚悟が
現代には必要なのだと思います。

あくまでも
私個人の視点ですから
意見として受け止めて
いただけると幸いです。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己改革