2022年05月10日

「特別」を感じてみよう

一番になりたい、愛されたい
ということについて
何度か取り上げてきましたが、
色々と私なりに考えているうちに
ひとまず「特別感」を味わえるような
考え方を提案してみてはどうか?
ということを思いつきました。

…というのも、
連休中に友人と飲んでいる中
私の発した一言で
友人がとても喜んでくれて
それがヒントになったからです。

その時の内容になるのですが、
「偉そうな言い方に聞こえたらごめん。
 でも、私にとって
 特別に選んだ人たちとしか
 私はプライベートで会わないんだよね。
 つまり〇〇ちゃんは
 私にとっては選び抜かれた人…
 みたいな感じで、あははは(笑)」

こんな発言をした理由は簡単で、
社会人になると学生時代と違って
友達に簡単には会えなくなるし
結婚だの出産だの色々あって
【日々、限られた時間の中で】
誰に会うか、付き合うかって
すごく重要なことだと思ったのです。

この発言に対して友人は
本当に嬉しそうにしてくれました。
そしてこれは別に私だけでなくて
他の人にとっても同じこと。
その人が誰を選び抜いているか?
というふうな視点で考えると
【わざわざ時間を割いて
   会ってくれているという】
特別感が味わえるのです。
*****ポイント*****
だからといって特定の誰かが
一番になれるとは限りませんが
【特別に優先してもらえた】
という感覚は味わえると思います。

愛を感じること、受け止めることが
苦手な人にとって
これもとても難しいかと思いますが
一番になるかどうかよりは
比較的分かりやすいかと思います。
今回のケースでは、
【他人の時間をもらえる喜び】です。

これをアレンジして、
他の喜びを感じられるよう
想像してみてほしいです。
たとえば…私も想像してみますね。

多くのカウンセラーの中から
私を選んでくださったこと、
いざという時には
必ず相談に乗ってもらえたこと、
時々抜けている私を
見放さず見守ってくれたことetc…
こんな感じでしょうか。

現在進行形のことを考えると
なかなか感じにくいことなのですが
【なんとなく過去を振り返ると
       感じることができる】
そんな気がしています。
そして「ありがとう」と思います。
そういう意味では、
”今、愛を感じたいとしても”
【過去、自分が愛されてきたことを】
振り返ってみると良いかと思います。

【結果は後からついてくる】
そんな感じなのですよね。
そして、
その過去を感じられるようになると
今目の前にいる人に対しても
【その人たちとの未来に
    愛を感じられるから
       安心して関われる】
というふうに私は考えています。
もしもその関係が壊れてしまっても
”その程度の関係だった”と諦めます。

いかがでしょうか。
この考え方が
少しでも辛さ軽減に
つながるといいなぁと思います。
また他の考えが浮かんだら
記事にしたいと思います(^^)
posted by 心療カウンセラー長谷 at 06:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己改革

2022年05月08日

愛は徐々に欠乏していく

3回連続して
「愛」についてお伝えしております。
これまでの投稿では、
愛の受け止め方がどうなのか?
愛を感じにくいのではないか?
といったことを取り上げました。

そもそも
愛情不足に陥ってしまう原因は
【養育者との関わり方】
関係していると言われていますが
そうとは言い切れないケースも
もちろん存在しています。

簡単に言えば、
【いつ人間不信に
    なるかは分からない】
ってことです。

養育者(メインでは親)との関係が
とても良好に続いていて
愛し愛されて満たされたとしても
成長過程のどこかで
いじめに遭ったり
恋人から裏切られたりしたことで
”人を信じられない”という
考えに変わることはありますよね。

人との関わりの中で
その時々に不適切な関わりで
【愛が徐々にそぎ落とされるような】
経験を積み重ねていけば
何が愛なのか?分からなくなります。

あからさまないじめなどがなくても
意地悪な対応をするのが普通な人が
身近にいたとすれば
日々ネガティブな経験を積むので
人付き合いそのものに不信を抱き
適切な関わり方を見失います。

私のところに寄せられる
相談の中で多いケースでは、
アスペルガー傾向を持つ人との
コミュニケーションが上手くいかず
パートナーが病んでしまうことや、
親に一貫性が無く
無関心と過干渉を繰り返すため
子供が病んでしまうことなどが
挙げられます。
*****まとめ*****
ここまで、
愛情不足という状態は
いつ起きるか分からない、
ということを書きました。

その時々の環境(関わる人)によって
愛情不足に陥るということは、
逆に考えれば
【環境を変えれば回復できる】
というふうに考えられます。

それで、
あくまでも私の感覚なのですが、
愛情を感じられるようになるには
まず、
【自分が陥っている
   メカニズムを知ること】です。
愛着関連の本を読みながら
他の心理本と併用して
自分がどういう状態か分析します。

それと同時に
【適切な関わり方を知ること】です。
周りの対応がどんなものなのか?
また、その周りに対して自分の反応はどうか?
といったことを観察してみるのです。

そして、
不適切な関わり方に気づいたら
【他の関わり方はなかったか?】
イメージしてみてください。
そうすることで頭の中に
良いイメージを定着させます。

ただ、一度見失った信頼感を
元に戻すには時間がかかります。
人間関係を整えること自体も
簡単ではありません。
回復への取り組みは工夫が必要で
一人ではなかなか難しいかもしれませんが
前向きに取り組んでみてほしいと思います。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己改革

2022年05月05日

愛を感じにくい人

前回、独占欲について書きました。
その中で愛の受け止め方に
注目すると良いとお伝えしましたが、
これについては
【人との距離感が分からない】
というタイプの人も含まれます。

”相互理解と信頼関係”
見直してみることによって
【相手を肯定的に受け入れ】
【安心して信頼し】
愛を交わし合う…といったような
イメージになります。

さて、今回はその中で
愛されても愛されても、
【それを愛と認識できず】
苦しんでいるケースを考えます。
これは以前取り上げた
発達障害傾向を持つ人たちが
なぜ愛情不足に陥るのか?と
共通する部分になります。

ですが、
発達障害傾向を持たなくても
愛を感じにくくなるケースは多々あります。
事例としましては、
一般的な過程で育ち兄弟も仲良く、
友達とも楽しく過ごしてきた人が
「頭では愛されていると
     分かっているのに」
なぜか現実的には愛を感じにくく
常に孤独感に苛まれている、
といったような相談があります。

こういった場合は、
【たとえ素直に愛情表現されても】
それを愛と認識して
満足することができません。
人によって違うとは思うのですが、
【愛されることについての
     認識がゆがんでいて】
その人自身が
【誰かの愛し方も分からない】
といったことが考えられます。

認識の歪みとは、たとえば
・愛しているなら何でも言うことを聞く
・愛しているから暴力をふるう
・愛されたら文句を言ってはいけない
・愛されたら愛さなくてはいけない
・ただ優しくすればいい
こういったことです。

結論から言いますと、
【それは愛でも何でもありません】
何らかの理由によって
それを愛だと勘違いし続けてしまったから
日常的に”愛欠乏症”になるのです。
底なしに飢えている状態ですね。

上記の一般家庭で育ったケースでも
実は細かい場面において家庭内で
”不適切な関わりが多かったため”
愛情不足に陥っていた、
なんてことも考えられるわけです。
*****まとめ*****
「愛」を辞書で引いたら
それなりの言葉がありますが
本当の意味合いでの(感覚を含め)
愛とは?はおそらく
誰も正しく表現できません。
感じ方も人それぞれですから。

ただ、
「優しくされたから好きです」
「私を好きな人が好きです」
といった
【認められたから、
   肯定してくれたから
      相手を愛してしまう】
ということには注意が必要です。

愛を渇望しているとき、
そこには”心の隙”が生まれます。
それを見抜いた誰かが
計算高く優しくしてきて心を奪い、
後々その人を利用するようなことに
つながってしまう可能性があります。

そういった関係性が成立した時に
「独占欲」が生まれやすいかも?と
私は想像しています。

最後に、
愛を感じにくい人は改めて
【適切な関わり方と
      愛し方について】
考えてみる必要があると思います。
それは一人では難しいので
色んな人に聞いてみてもいいし、
年配の人や専門家や、
自分とは立場が離れた人たちの
意見も参考になると思います。

それによって、
これまで自分が本当に
適切な関わり方をしてもらえたか?
愛され方はどうだったか?などを
振り返って整理してみてください。
その時、場合によっては
【歪な状況でしか愛を感じない】
という自分に気づくかもしれません。

これは自分の問題だけでなくて
周囲の関わり方(環境)も関係します。
自分の立て直しをするとともに
周辺の人間関係に変化をもたらし、
適切な関わり方がお互いにできるよう
目指していけると良いな、と思います。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己改革