「人の顔色ばかりうかがう」
というタイプが存在しますが
その逆に
いつも集団の外側にいるような
社会の端っこにいるようなタイプは
【自分には関係のないことだ】
という顔をすることが多いです。
そうなったいきさつは
決して幼少時代からのものではなく
”なんらかの経験が積み重なり”
ある意味
【人に対しての期待を
諦めてしまった状態】
とも言えるのかもしれません。
例えば、
以前も取り上げた夫婦喧嘩ですが
それを常に見て育つ中で
本当は止めてほしいのだけれど
親がいつまで経っても学習せず、
「この人たちには分からない」
という結論を子どもが出すことです。
学校では、しつこくからかわれたり
意地悪をしてくる相手に対して
「人の気持ちさえ
分からない頭の悪い人」
といった感情を持つと同時に
「他の人たちも同じだろう」
といった諦めが発生します。
【表面上は普通にふるまえても】
本心が表面と違っていたり
【何かトラブルなどが起きた時】
素知らぬ顔をしてその場を去る…
ということも考えられます。
残念ながら、
自分のことばかり考えて
人の気持ちを汲み取る余裕のない人も
世の中にはたくさんいるため、
そういった人間に対して諦めて
【距離を置くようになります】
また、
そういうことに敏感になりすぎて
【少しのきっかけでも
他人への信頼を失い】
心を閉ざしてしまうことがあります。
*****まとめ*****
これは発達障害関連の相談でも
よく出てくる話になるのですが、
心を閉ざしてしまったきっかけや
過去の話を聞いてみると
【特性よりも環境によって】
そうならざるをえなかったという
内容であることが多いです。
見えない感情の動きが理解できず、
また、もし理解できたとしても
【理不尽さを許すことができず】
突き放してしまうような
行動や言動を引き起こします。
正義感が強いというよりも
【分かっていて人を傷つける人】が
許せないといった感じでしょうか。
それは私も同じ気持ちです。
一人ひとり、色んなことが理由で
心を閉ざしてしまうことがありますし
生きている中で傷つくことって
とてつもなく多くあるのですよね。
そのたびに苦しい思いをして
「もうだめだ…」と感じますが
【稀に肯定的な人もいます】
また、異なる人間のかかわりの中で
【意見は違って当然だし】
【100%理解するなんて
できませんから】
自分にも苦手があるように
目に映る人間たちに
【完璧さを求めない姿勢も】
必要になってくるかと思います。
何が言いたいかというと
例え愛し合った相手だとしても
心底信用できると
思った友人だとしても
【場合によっては
理解し合えない部分もあり】
それが人間関係においては
”普通のことなのだ”と
念頭に置く必要があるということです。
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