引き続き、
「いじめ」というテーマで
今回も始めたいと思います。
これまでは
「いじめの定義」などについて
振れてきましたが
今回は「それは違うよ」といった
事例を作ってみたいと思います。
発達障害傾向を持つ人だけでなく
【被害者意識の強い人たち】は
何か事が起きた時に
自分を被害者側に立たせて
物事を考えるのがクセづいていて、
いじめとは言えないことでさえ
「傷つけられた」と
訴え出るケースも多いです。
これについては
年々ケースが増加しています。
私の知人との会話でも
「被害者ぶった者勝ちだよね」
というセリフがよく出てきます。
昨今は、そういう時代になったし
”受け止める側の意識”で
事実が全然変わってしまいます。
本人が自覚なく、
常に被害者ぶっていると
周囲の人たちは敬遠し
人間関係を壊してしまいます。
ここで、
いじめには当てはまらない
ケースをいくつか挙げてみます。
下記の前に「自分だけ」を
付けて読んでくださいね。
【教えてもらえなかった】
本人から「教えてください」と
言えばよかっただけで、
黙っていても教えてもらえる
という”甘え”から
そのようになる場合があります。
通常、他の人たちは
自分から質問して教えてもらいます。
中には、
「質問できないのだから
相手から親切にするべきだ」
と考える人がいますが
それは筋の通らない話です。
【誘われなかった】
”誘われるような
関係性ではなかった”
とは考えられないようです。
内容にもよりますが、
誘いたくなるような相手であれば
自然と誘いは来るものです。
【特別扱いされなかった】
特段理由もないのに
特別扱いされるわけがありません。
特別扱いを受けるということは
”それなりの理由”が
存在しています。
ただそこにいるだけで
特別扱いをされるのが当然なら
”世の中のすべての人間が”
平等に特別扱いされるべきです。
【嫌な態度をされた】
そもそも、本人が
良い態度で接していたかどうか
考えることが必要です。
例えば
不愛想だったり返事もしない、
悪口や人のうわさばかりの
人だったとしたら…
態度良く接することができる人は
少ないかもしれません。
その人の”人物評価”自体が
低い可能性があります。
【時給が上がらなかった】
時給が上がるということは
”それ相応の働き・貢献”を
したという結果がありますが、
そういった結果を出さないと
時給は上がりません。
※いずれのケースも
【自分から見ている自分と
周りから見ている自分の温度差】
というものがあるとは思います。
自分を過剰評価する人と
自分に自信がない人では
評価に違いが出ますから
それに対する周りへの要望も
違ってくると思います。
*****まとめ*****
私たちは冷静になることと
想像力を駆使しないと
【自分を客観的に
見ることができないので】
「自分なりに頑張っている」
という言葉だけでは
人から評価してもらえません。
相手の心が開いていないと
感じる場合には
自分の心を開けていない。
といったように
自分の日頃の態度や行動・言動は
【人間関係に鏡のように
映し出されます】
まずは、
目に見える周りの人たちへの
不満を爆発させるのではなく
自分がどうであったかを
振り返ることが大切です。
美味しいところだけ
持っていくような感じで
ただ利益を上げるだけ、
結果を出すだけという
【人を蹴落とす成果主義】は
一時的に評価されたとしても
最終的に
【人物評価が下がります】
基本的人権は
誰にでもあるものですが
他人と関わる時の温度差は
【人権だけを主張しても】
同一にはなりません。
これらのケースは
いじめではなく【区別】と
考えるのが妥当だと私は思います。
もちろん、
あからさまな意地悪なら
それは良くないことですが…。
その時の状況や事情によっては
「いじめ」と本人が感じても
そうでない理由が
あるかもしれないということも
念頭に置いて
分析することが大切です。
【自己改革の最新記事】