いじめについては
常に取り上げたいテーマです。
小学生の頃、道徳の時間に
(今は名前が違う授業ですよね)
いじめについて考えさせられ、
クラスの子どもたちみんなで
意見を出し合ったものです。
その頃の私は言語化できず
でも授業のたびに
モヤモヤしていたのを覚えています。
今だから言葉にできるのは
「いじめは悪いことです」などと
発言しているクラスメートの
一部の子どもたちに対して
・あんた、いじめてるじゃん
・きれいごとを言うな
・意味わかって発言してんの?
といったことを
思っていた私でした(;^_^A
それは大人になってから
現在も続いています。
いじめを”悪いこと”と
定義し批判しつつも
自分がその立場に立っていることは
棚に上げているのです。
この心理状態を
私なりに想像してみました。
まず、いじめる側の状況は
いくつかに分けられますので
3つで考えてみますね。
・正当化する人
・自分の心を守る人
・自覚のない人
*****タイプ別心理状態*****
【正当化する人】
いじめが悪いことだと
知っていたとしても
今自分が行っている行為は
”特例で、いじめとは違う”
などと解釈しています。
自分から見える人たちが
いじめていたら
批判したり責めたりしますが
”自分の行為は特別だ”と
むしろいじめていることを
肯定する傾向があります。
【自分の心を守る人】
自分が良くない行為をしていて
その自覚があったとしても
”自分が責められたくないから”
”自分がいじめられたくないから”
周りに流されて
一緒にいじめ行為に及びます。
そのことを尋ねると
「分かっていてもやめられない」
などと答えることが多いです。
ただ、自覚がある分だけ
悪いことをしている自分を
”責める傾向も強くなり”
後々、その過去を引きずりながら
苦しんで生きている人も
多く存在しています。
【自覚のない人】
ADHDタイプのような
”分かっていてもやめられない”
という人たちは
それが、いじめだというよりは
”自分個人の行いを
コントロールできない”ので
いじめている自覚は少なく、
止められない自分を気にする方が
多いのではないかと思います。
やりすぎて、
相手が号泣して初めて
「いけないことをしたのだな」と
本気で理解した時に
制止できることが多いです。
毎回自覚がないので、
別の場面では再び
いじめの自覚を忘れて
同じことを繰り返してしまいます。
*****まとめ*****
人間が集団で生きている以上、
いじめが無くならないとしても
【今この瞬間、
自分を抑えることは】
可能であると考えます。
(発達障害の場合は
投薬コントロールも
含めて考えます)
例え相手が悪いことをして
それに対しての罰だとしても
自分の心を守るために
回避する行動だとしても
まったくの無自覚でも
やはり、
【他人を罰する権利はなく】
それができるのは法律だけです。
それに、
どんなに相手が嫌いでも
その相手を攻撃して
問題を起こすくらいなら
【避けてしまった方が賢明で】
結果的に、
人を罰すると言いながら
【ストレス発散に使っている】
とも言えるのではないでしょうか。
いじめたい心理が働いたら
その場に一旦とどまって
深呼吸をして考えてみてください。
いじめたら……
どんなに自分が正しかったとしても
・自分の評価が下がります
・人格が歪んでいきます
・正しい価値観が消滅します
その行為が
【自分の首を絞める行為】で
あることを知ってください。
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