”敬意を払う”とは
その人を尊敬することであり
感謝することでもあります。
そしてそれを”言葉にする”と
関係が良好になることが多いです。
そういったことも踏まえて
小学校で習いましたが
私たちには【基本的人権】
というものがありますよね。
今回は、それを具体的に
書こうと思うのですが…
若干自信がない…(;´・ω・)
なぜなら、小さい頃からそのことで
【明確に説明を受けていない】ですし
それを語っている人は身近に少なく
私自身も経験が少ないからです。
そのうえで、
これまでの学びを総合して
私なりに考えを出してみると
【みんな、同じ人間だよね】
ということに尽きるのです。
どんな人でも、同じ人間である以上
【同等の権利が存在し】
その色々な権利を使いながら
生きているのです。
それで、敬意を払う時には
人それぞれの価値観が優先されるので
前回の記事のように
【偏った考え方を持っていると】
敬意を払う相手が限られますが、
私たちが同じ人間という前提なら
【考え方次第で、誰でも尊敬できる】
ということにもなりませんかね?
とても個人的な意見になるのですが
私は、”肩書”とか”権力”などが
大嫌いです。
それは、私にないから…かもしれません。
だけど時代を遡って考えれば
私自身がそれに振りまわれて迷惑を被り
”ハラスメント”のフルコースで
お腹いっぱいになっているからかと思います。
そういった時には
敬意を払われるどころか、
ゴミ扱いされる日々でしたからね(;^_^A
さて、発達障害の傾向を持つ人たちは
【権力や気の強い人に弱い】ところがあり
その人たちの前ではペコペコしたり
ご機嫌を取ったりすることがあります。
その逆に、部下や後輩の前では
偉そうにしたり横柄にしたりして
文句を言わせない態度をとることがあります。
当事者は、
このようにして対応を変えることで
【うまく立ち回れている】と
勘違いしているケースも多いのですが
実際に周りの人から見ると
【肩書に振り回されるダメな人】
という印象が強いと思われます。
(相談事例を総合して)
ただ、当事者の立場に立ってみると
権力に対する恐怖からご機嫌を取り
目下の人間に対して偉そうにするのは
【自分の気持ちや考え方の
出し方の調整が上手くいかないから】
とも考えられるのです。
*****当事者の方へ*****
「基本的人権」という意味で
私たちが同じ人間として
【尊重されるべき存在である】というのは
あなたも、私も他の人たちも
何ら変わりはないのです。
その基本を忘れてはいけません。
確かに、能力の差異はあります。
アスペルガータイプの人なら
【勉強ができても想像が苦手】で
ADHDタイプの人なら
【発見ができても継続が苦手】です。
その「できる」を基準にして
”何かが特別上手”と言うだけの理由が
【人を見下しても良いという
理由にはならない】のです。
同じ人間同士としてなら
敬意はいくらでも払えます。
これが分からないのだとしたら
それは
「想像する力や考える力が足りない」のです。
「優劣」「勝敗」にこだわらず
相手を1人の人間として見たときには
必ず良いところがありますから
これも練習の一つに組み込んでみてください。
当たり前のことですが
根っからの腹黒い相手や
意地の悪い嫌いな相手に対して
無理をして考えることではありません。
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