すみません…
前回の記事が読みにくかったようで
ちょっと反省しております(´;ω;`)
それで再度書かせてください。
また、分かりにくいかもしれませんが
どうぞ、お付き合いくださいませ。
(*- -)(*_ _)ペコリ
《ASDタイプ》
自分の考えなどは分かるけれど
人の考えや行動などについては
想像することが苦手です。
また、
”目に見えるものが全て”なので
お小遣いをもらう、ご飯を作ってもらう、
テストで100点をとるなどは
分かりやすいのですが、
見えない愛というものの
全容をつかむことができません。
だから、誰かに愛されたとしても
【その愛に気づくことができず】
愛情不足に陥る、という感じです。
《ADHDタイプ》
愛されているのなら、
優しくしてもらえたりするはずなのに
当事者の場合は失敗が多いために
叱られてばかり。
叱られる方が印象に残りやすく
【自分の望む形の愛が手に入らず】
反発心、不信感が募ります。
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「愛」の種類は複数あるので
家族愛や友情、恋愛などの区別も
難しいと感じる人が多いです。
そのため、親切にされただけで
「この人は私を好きなのだ」と
勘違いしてしまうこともあります。
その結果、告白してフラれて
愛のような見えないものに対する
不信感が強まってしまうことが
あるかもしれません。
それから、
【精神年齢が幼いために】
愛に対する理解度も
浅くなる可能性がありますから
「その年なら分かるでしょ」
という考えで対応していると
さらに混乱するかもしれません。
*****まとめ*****
特に発達特性を持つ人たちには
【これが愛情表現です】ということを
分かりやすく伝えることが大切です。
そのためには、
【与える側の愛情表現が
ゆがんでいないこと】
これが大前提となります。
例えば、暴力をふるいながら
「あなたのためを思って、
愛を表現しています」
なんて言っている大人がいたら
当事者は
「愛情表現=暴力」となるでしょうし
「愛」という言葉を使って
日常的に監視していたら
当事者は「愛=監視」となります。
他人の体験や考え方を
【想像する力が弱いために】
【自分の体験を手本とし】
【間違った愛情表現を覚えます】
◆◆◆
さて、発達特性があっても
愛への理解度には個人差があります。
その差は、小さいころから
どれだけ解説してもらったか
教えてもらったかの違いも
含まれていると思います。
例えば親の場合、
「これは特別ね」「今日だけ手伝うね」
「あなたが好きだから〜するね」など
日ごろから分かりやすく
【自分の行いの意図】について伝えます。
能力が低いからではなく
【大切にされていることを知るために】
周りが常に表現し続けます。
これについては、
別に発達障害云々は関係なくて
大人も子供も関係なくて
【誰もが喜ぶことの
一つですよね】
ですから、関わる側が誰にでも
「親切」「愛」「特別」
「尊重」「感謝」などの
分かりやすい表現ができることは
大切なのではないでしょうか。
照れくさいかもしれないけれど
”敢えて言葉にすること”
それも忘れないでくださいね。