2021年09月21日

「偽善かどうか」どう判断するか?

自信のない人や、人の顔色を
伺うようなところがある人たちは
【自分の行い自体が不安で】
前回の記事内容のように
「自分のしていることは
   偽善なのだろうか?」などと
考えてしまうと思うのです。

周りがその行いをどう思うかは
周りが勝手に決めることなので、
今回の内容では
【自分がどう感じるか?】
基準を考えてみたいと思います。

私たち人間は、
誰かに尽くしたり親切にしたり
協力したりして生きています。
その逆に支えてもらうことも多く、
【感謝されて嬉しく思うのは
     当たり前のことです】
ただ、それは
【自然な形で発生する感情です】

もし「偽善っぽい」と感じる場合は
【最初から報酬を
   期待しているケースで】
例えば、、、
【親切にすることが目的ではなく】
親切にした結果、
【その先の感謝の言葉が目的】
といった考え方の時です。

物で言えば、お財布を拾って
「これ落とした人は困っているから」と
交番に届ける人と、
「何割かもらえるよな」と考えて
交番に届ける人の違いです。
*****まとめ*****
「偽善かどうか」の基準は、
【その行為の目的が何か?】
関係してくると思います。
上記の説明でお判りでしょうが、
報酬を求めての行動の場合は、
相手からの報酬がない場合
【不満を積もらせたり
  相手にぶつけたりして】
関係が悪くなるかもしれません。

財布を拾ってもらっても
中身があまり入っていなかったので
御礼ができなかったとします。
すると拾った人から
「お金を払うのが常識だろう」と
一方的に言われてしまったら
【感謝どころか脅迫めいて】
親切にされたなどとは
微塵も思わないかもしれません。

もし、
あなたが自分の行為に自信がなく
それが偽善に感じる場合には
【周りがそれをどう評価するか】
ではなく
【私が相手に何をしてあげたいか】
といった方向で考えてください。

御礼や報酬を求めない、
ただ自分が誰かにしたいことを
純粋な気持ちで表現してください。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 19:00 | TrackBack(0) | 自己改革