2021年09月23日

何が偽善に見えるのか?

引き続き、「偽善」について
今回は発達障害関連として
取り上げて行きたいのですが
発達障害の傾向を持つ人たちが
誰かに親切にしている時
なぜか「偽善者」と言われる
その原因を、
私の臨床経験などを通して
探ってみます。

これは、
当事者の行動や言動などを特定して
責めたり咎めたりするのではなく、
当事者の意図を知ることで
【周囲の人の理解を得るための】
目的として取り上げますので
誤解のないようにお願いします。

=ASD特性が強いタイプ=
基本的には平和主義で、
人が喜ぶ姿を見るのが好きです。
自分が何かお手伝いをすることで
誰かが喜んでくれる経験を積むと
”もっともっと頑張りたい”と
超前向きに取り組むことができます。

コミュニケーションが苦手でも
最初から”人を避ける”というのは
考えにくいタイプの人たちなので
ASD特性がある上で
人を避ける人たちは
別の問題が発生していると考えます。

それで、
前向きに人の役に立とうと
頑張っているASDタイプの人たち。
だけど、【視点が違うので】
相手が何に困っているかなどで
【ズレが生じてしまいやすく】
その行為によって
”自己満足な親切”に映り、
偽善者っぽく見えてしまいます。

また、親切にしたいのに
【イレギュラーなことが起きて】
当事者が動揺している時は
どうしてもその場を収めたいので
親切が後回しになってしまい
偽善っぽくなってしまいます。

何て言うか……
「ごめん、本当は親切にしたいけど
 自分のこの不安には勝てない」
みたいな気持ちなのかと思います。

私たちは、ある程度冷静でいられても
当事者たちには些細なことでさえ
パニックの素になりやすいため、
「その程度で?」と思えるような
出来事でさえ恐怖なのです。

=ADHD特性が強いタイプ=
人懐っこいイメージの
ADHD特性を持つ人たちです。
過去にネガティブな経験を積むと
尖った雰囲気を持ち合わせますが、
信頼している仲間などには
とてもフレンドリーで親切です。

ですが、特性から想像すると
【飽きっぽい、忘れっぽいため】
一時的に親切にできても
すぐに行動が切り替わったり
他に興味が移ったりします。

そのため、
【中途半端な親切】に見えて
偽善者っぽく感じてしまいます。

また、何か手伝いなどを要求しても
【興味からの行動を
   切り替えるのが難しく】
「手伝いますよ」と言いながらも
いつまでも思い出してもらえない、
といったこともあります。

当事者の気持ちとしては……
「手伝いたかった!
 でもまた、やっちゃった。
 あぁ…本当にダメな自分だ。」
といった感じかと思います。
*****まとめ*****
・過集中
・注意力散漫なところを
・行動の切り替えが苦手
などの問題を持つ人が多く
【複数の要因が組み合わさって】
行動や言動で
困り事が起きやすいのかもしれません。

また、
ワガママに思えるかもしれませんが
・興味のあることは手伝う
・気分が良ければ手伝う
・利益があれば手伝う
といった「目的」が少し
ズレていることもあります。

発達障害傾向を持つ人の場合は
【偽善というより、
  気持ちが途切れやすい】
考えるのが妥当かと思います。

誰でも、
気乗りしないことがあるし
いつも他人のためには生きられません。
その【頻度・程度が】
当事者たちは顕著だということです。

周囲で支援する側の人たちは
当事者たちの気持ちを汲み取り、
一時的な行動だとしても
「そういう人なんだ」と
ある程度の落としどころを
知っておいた方が
支援の際に気が楽かもしれません。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 09:36 | TrackBack(0) | 発達障害

2021年09月21日

「偽善かどうか」どう判断するか?

自信のない人や、人の顔色を
伺うようなところがある人たちは
【自分の行い自体が不安で】
前回の記事内容のように
「自分のしていることは
   偽善なのだろうか?」などと
考えてしまうと思うのです。

周りがその行いをどう思うかは
周りが勝手に決めることなので、
今回の内容では
【自分がどう感じるか?】
基準を考えてみたいと思います。

私たち人間は、
誰かに尽くしたり親切にしたり
協力したりして生きています。
その逆に支えてもらうことも多く、
【感謝されて嬉しく思うのは
     当たり前のことです】
ただ、それは
【自然な形で発生する感情です】

もし「偽善っぽい」と感じる場合は
【最初から報酬を
   期待しているケースで】
例えば、、、
【親切にすることが目的ではなく】
親切にした結果、
【その先の感謝の言葉が目的】
といった考え方の時です。

物で言えば、お財布を拾って
「これ落とした人は困っているから」と
交番に届ける人と、
「何割かもらえるよな」と考えて
交番に届ける人の違いです。
*****まとめ*****
「偽善かどうか」の基準は、
【その行為の目的が何か?】
関係してくると思います。
上記の説明でお判りでしょうが、
報酬を求めての行動の場合は、
相手からの報酬がない場合
【不満を積もらせたり
  相手にぶつけたりして】
関係が悪くなるかもしれません。

財布を拾ってもらっても
中身があまり入っていなかったので
御礼ができなかったとします。
すると拾った人から
「お金を払うのが常識だろう」と
一方的に言われてしまったら
【感謝どころか脅迫めいて】
親切にされたなどとは
微塵も思わないかもしれません。

もし、
あなたが自分の行為に自信がなく
それが偽善に感じる場合には
【周りがそれをどう評価するか】
ではなく
【私が相手に何をしてあげたいか】
といった方向で考えてください。

御礼や報酬を求めない、
ただ自分が誰かにしたいことを
純粋な気持ちで表現してください。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 19:00 | TrackBack(0) | 自己改革

2021年09月18日

偽善者

発達障害関連の相談では
「偽善者と言われた」などの
内容を聞くことも多いです。
その逆に、
当事者からは周囲の人たちが
行っていることなどが
偽善に見えてしまうこともあります。

この頃、その言葉をよく聞くので
今一度、考えてみたいと思います。

”偽善”とは、単純に表現すると
「偽物の善意」ということですよね。
それを自分から言う人は
私は見たことがありませんので
【決定づけるのは他人】
ということになるかとおもいます。

ですが、その人の本心は
【その人にしか分からないこと】
周りには偽物に見えていても
【本人は真剣に
  善意の行為をしている】
可能性もあるとは思います。

例えば、
発達障害傾向を持つ当事者が
偽善行為をしているように見えるのは
おそらく
【利己的な面が見え隠れするから】
なのではないかと思います。
ですが、当事者の肩を持ちますが
彼らは【純粋で計算高くなく】
特性によって
自分勝手なことは多いとしても
【利益追求のためではない】
私は考えています。

ただ、善いことをしているのに
自分のことばかり考える…という
【バランスの悪さが偽善に見えて】
周りから評価されるかと思うのです。

ここに、二次的な問題が加わった時
”明らかな偽善”になってしまう
可能性はあります。
例えば、
【善意の私を称賛しなさい】
などと周りに押し付けるような
困った態度です。
善いことをしている私って
すばらしいでしょ?
だから、称賛されるべきだし
それが理解できないのだとしたら
それは周りがダメな人間だからです。
…といった考え方になれば
偽善者と言えるかと思います。
*****まとめ*****
「あの人は偽善者だ」と
色んな所で耳にしてきましたが
あからさまな意図でない限り
世の中に偽善者は
さほど多くないのかも…と思います。

もし誰かに指摘したいのなら、
偽善者と決めつけるのではなく
「私にはそれが偽善に見える」と
【自分の考えとして】
伝えるようにしてみてください。

逆に、誰かに偽善者と言われたら
【自分の意図を再確認して】
実際にどうなのかを
身近な人と評価してみてください。
全てがそうでなくても
「どの部分が」偽善に見えるか?
という考え方もあると思います。

私どものような
メンタルケアに携わる人間には
無料相談もあるわけですが、
それが偽善に見えることもあります。
だけど、その真意は
私たちには分からないことです。
本気のボランティア精神で
多くの人を救いたいのかもしれないし、
お金持ちだから
無料にできるかもしれません。
私は、これで生計を立てているので
しっかりと有料にさせていただきます。

これらについても、
評価は人それぞれでしょうが
偽善という言葉を使うからには
【悪口を言うことに対する責任】
考えておくことも大切かと思います。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 17:18 | TrackBack(0) | 発達障害