前回の記事内容に
「挨拶」とか「声掛け」
最低限の礼儀的な話を
書きましたが、
人にもよるのですが
発達障害傾向を持つ人たちは
こだわりが強いですし
【そこに意味を見出すクセ】を
持っている人が多いと思います。
特に、
【自分の意に反するときは】
そこに何の意味があるのか?
意味がないなら不要だ、
といった考えになりやすく
私たちにとっては
当たり前と思ってきたことも
彼らには要らないものに
なりやすいのだと思います。
それで、
当事者たちにとっては
【挨拶や礼儀が苦手】なので
そのとおりにはできないため
意味や説明を
求めてくることがあります。
そういうタイプの人たちは
生まれ育ってきた
【家庭内に挨拶や
声掛けがなかった】
ということも割と多くて
例えば就職して
【出社時に挨拶を
しないのが当たり前で】
後に上司に怒られたという
事例もあるほどなのです。
「なんで怒られるの?」
「何が悪いの?」
「支配されている」
彼らにとっては
こんなふうに思えるのですね。
*****当事者*****
挨拶・マナー・礼儀などに
【意味を見出すこと自体が
無意味かもしれません】
なぜならそれは
意味をもってするのではなく
【やって当然のことだから】です。
そんな言い方では
上から目線に感じるのだとしたら、
私のイメージとしては
挨拶・マナー・礼儀は
【歯磨きやトイレと同じ】
くらいに当然のことです。
口臭予防に、
虫歯にならないように、
歯を磨きます。
漏らすと不衛生なので
トイレに行きます。
では、
挨拶・マナー・礼儀を怠ると
何が起きるかというと…
虫歯にはなりませんし
お漏らしもしません。
でも、
【人間性を疑われ】
【評価は駄々下がり】
【レッテルを貼られ】
目に見えていない
【心が蝕まれる】と
考えてみてはいかがでしょうか。
少し大げさに
聞こえるかもしれませんが
長年の蓄積で
知らない常識が増えていくと
人間関係に影響も出ますし
孤独な心のまま
平常心でいられる人は少ないです。
今回の内容以外でも
意味を見出すクセを持つ人たちは
【意味を見出すことに
意味があるのか?】も
考えてみると良いかと思います。