2021年05月22日

なぜお札を揃えるのか?

この話、もしかすると
ずっと前に書いたかもしれません。
お客様からの質問で
「どうしてお金は揃えて
  渡さないといけないのですか?
というものがあったのですが、

発達障害傾向を持つ人たちは
【効率重視】であったり
【極度のめんどくさがり】
といったことから
”お札を渡す目的”を見ますが
そこに発生する「気持ち」は
あまり想像することができません。

もちろん、
それまでの人生のどこかで
「そういうものだ」と教えられ
ルールの一つとして
守っている人もいるのですが
【その理由が分からないから】
お札を揃えることをしないという
お客様もいるわけです。

以前取り上げた時に
どんなことを書いたのかも
覚えていないのですが(;^_^A

今の私が思っていることは
それは決してルールではないけど
不揃いのお札を渡すと
【雑な人だと思われる】
ということが一つあります。

当事者は、こういう時
「別に人からどう思われてもいい」
などと言い返すことが多いですが
その割には
人からの評価を気にしていて
【考え方が矛盾】しています。

それで、
人からの評価以外で考えると
お札を渡すということは
【所有者の権利が
    相手にわたる】
ということですから
【相手の持ち物を
    大切に取り扱う】
という意識は大切かと思います。

前回書いていた
「雑さ」とも関連していますね。
*****当事者の方へ*****
いつも同じことを言っていますが
自分に大切なものがあって
それを侵害されたくないのは
誰でも同じ気持ちです。

だから、
【大切なものかどうか
     わからなくても】
【他人の持ち物を大切にする】
という基本的な態度は
絶対に必要なことです。

それはお金に限りません。
借りたハンカチを洗って返すとか
借りた本を汚さず読むとか
いろんな場面に適用できます。

人との関わりが希薄で
そういった経験が少なかったとしても
【自分以外の人との
     関わり全てに】
今回の話は適用できます。

すれ違う人と
偶然関わらないといけないとか
コンビニのレジで
関わることになるとか
生きている以上は
自分以外の人間と接触します。

なかなか、
想像が追い付かないかもしれませんが
想像を膨らませるよりも
”実行に移す”方が早いですよ。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 18:09 | TrackBack(0) | 発達障害

2021年05月20日

丁寧さが足りない

発達障害傾向を持つ人たちは
【手先などが不器用な
      人が多いです】
その理由は
・自分の身体能力以上にせっかち
協調運動がうまくできない
興味がないから大切にできない
心的エネルギーが不足している
・とてつもなくめんどくさがり
といったことが考えられます。

ですから、
おっとりしたタイプの人、
体幹バランスの良い人
細かいことが好きな人などは
例え発達障害であったとしても
不器用でないこともあります。

さて、その不器用さは
【日常的な所作にも
      表れやすく】
一つひとつの動きが不器用だと
当事者にそんな気がなくても
周りに誤解されてしまいます。

いくつか例を挙げてみますと…
せっかちなために
家の中でせかせか動くのですが
【力加減の調節ができず】
そこら中にぶつかったり
扉の開け閉めがうるさかったり
不自然な動きをしてしまいます。
それを家族が見ると
【自傷行為や怒り】のような
ネガティブなものに感じます。

また、人への対応そのものが雑で
・目を見て話さない
・返事をしない
・適当に答える
ということをくり返すと
【相手をバカにしたような
        態度になり】
嫌われてしまいます。

こんなことをする人は
滅多にいないかもしれませんが、
(失礼ということを
     知らない前提で)
早く行動を終わらせたいからと、
家族にお金を投げて渡すなど
【悪気なくモノを投げる行為】
雑で失礼な態度ですよね。

総合して、
【態度・言動・表情】など
多くのところに雑さがあれば
周りに勘違いさせてしまうことが
考えられますし、
不器用さが原因の雑さは
日常的にトレーニングを
した方が良いことの一つです。
*****当事者の方へ*****
ADHDの衝動性など
どうにもならない場合には
薬で抑えることになるでしょうが、
「自分で良くなりたい」と
心から決心する場合には
【身近な人とのフィードバック】
から始めることになります。

日頃の自分はどんな感じか?
どんな動きが気になるか?
直してほしいところは?
など、周りから情報を集めます。

その中に
「自分では
  そんなつもりはなかった」
という内容が見えてきますから
その部分に関して
【どう変化させれば良いのか】
しっかりと話し合ってください。

一人で取り組むとしたら
【自身を撮影しておき】
あとからチェックする方法です。
それでも自分では分かりにくく
【なぜそれが
   ダメなのか自体が】
理解しきれない場合には
やはり支援の手が必要です。

今のままでいいという人は
変わる必要はありませんが、
何かを改善したかったり
今以上に成長したい人は
日々、こういう取り組みが
大切なのだと思います。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 07:51 | TrackBack(0) | 発達障害

2021年05月18日

意味を見いだすクセ

前回の記事内容に
「挨拶」とか「声掛け」
最低限の礼儀的な話を
書きましたが、

人にもよるのですが
発達障害傾向を持つ人たちは
こだわりが強いですし
【そこに意味を見出すクセ】
持っている人が多いと思います。

特に、
【自分の意に反するときは】
そこに何の意味があるのか?
意味がないなら不要だ、
といった考えになりやすく
私たちにとっては
当たり前と思ってきたことも
彼らには要らないものに
なりやすいのだと思います。

それで、
当事者たちにとっては
【挨拶や礼儀が苦手】なので
そのとおりにはできないため
意味や説明を
求めてくることがあります。

そういうタイプの人たちは
生まれ育ってきた
【家庭内に挨拶や
   声掛けがなかった】
ということも割と多くて
例えば就職して
【出社時に挨拶を
  しないのが当たり前で】
後に上司に怒られたという
事例もあるほどなのです。

「なんで怒られるの?」
「何が悪いの?」
「支配されている」
彼らにとっては
こんなふうに思えるのですね。
*****当事者*****
挨拶・マナー・礼儀などに
【意味を見出すこと自体が
    無意味かもしれません】
なぜならそれは
意味をもってするのではなく
【やって当然のことだから】です。

そんな言い方では
上から目線に感じるのだとしたら、
私のイメージとしては
挨拶・マナー・礼儀は
【歯磨きやトイレと同じ】
くらいに当然のことです。

口臭予防に、
虫歯にならないように、
歯を磨きます。
漏らすと不衛生なので
トイレに行きます。

では、
挨拶・マナー・礼儀を怠ると
何が起きるかというと…
虫歯にはなりませんし
お漏らしもしません。
でも、
【人間性を疑われ】
【評価は駄々下がり】
【レッテルを貼られ】
目に見えていない
【心が蝕まれる】
考えてみてはいかがでしょうか。

少し大げさに
聞こえるかもしれませんが
長年の蓄積で
知らない常識が増えていくと
人間関係に影響も出ますし
孤独な心のまま
平常心でいられる人は少ないです。

今回の内容以外でも
意味を見出すクセを持つ人たちは
【意味を見出すことに
    意味があるのか?】
考えてみると良いかと思います。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 07:14 | TrackBack(0) | 発達障害