2021年01月23日

推論の仕方

私たちは日常的に
色んなことを想像したり
推測したりしますよね。
そして自分なりの答えを見つけて
行動や言動を決定しながら
毎日を過ごしています。

私が学習していく中で、
自分で考えて結論を出すという
いわゆる「推論」には
【帰納的】【演繹的】
推論があることを知りました。

=帰納的推論=
自分の経験や、
テレビ・ネットなどの情報、
友達から聞いた話などを
複数の情報の中で
【共通することを
  まとめて結論を出す】
という考え方です。

例えば、
〇テレビで「痩せる」と評判の
 サプリメントを見かけた。

〇Aちゃんが試して
 痩せたことを聞いた。
「そのサプリメントは痩せる」
という結論を導き出す。

注意点:一部のわずかな情報や
    都合の良い情報に偏る

=演繹的推論=
一般的なルールや
誰にでも当てはまるようなこと
誰でも知っていることなど
【普遍的な事実を
  組み合わせて結論を出す】
という考え方です。

例えば、
〇犬は噛みつく。

〇猫は引っかく。
「動物は怖い生き物」
という結論を導き出す。

注意点:そもそものデータや
    根拠自体が違っていたり
 無意識に主観が入ったりする

これをアレンジして
身近なところに当てはめて
考えることが大切なのですが
これだけでは今一つ
ピンと来ないかもしれません。

そこで、
発達障害の傾向を持つ人たちに
よく起きてしまう事例を
次回で取り上げたいと思います。

ですが、
実際は【判断ミス】など
誰にでも当てはまります。

自信のない人や人見知りの人、
体調不良などで
思考が正常でない時などは
誰でも間違ってしまうものです。

ちなみに、上記の推論は
「どちらのやり方が正しい」
というものではないのですが
【どちらの方法を選ぶか】
導き出される結論が変わるし
それぞれに
メリットもデメリットもあります。
ですから、
時と場合に応じて
使い分けることが大切ですね。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己改革

2021年01月21日

高貴さ、気品、気高さとは?

先日、
オンライン飲み会をやりました。
何でも話せる親しい相手と
色んなテキトーな話をしていて
そのとき「上品とは?」という
話題に流れていきました。

私は以前から常々
「それは絶対に私は無理」と
断言していました。
特に、昔から日本で言われている
高貴、気品、気高さなんて
私には1mmもないかも(;'∀')

なんて考えてた時、
ふと気づいたことがありました。
それは、本当に上品な人は
もちろんたくさんいるのですが
【上品だと誤解される人】
相談を受けていることです。

これは女性に多いと思いますが
人との関わりの中で
・会話が苦手
・会話についていけない
・言語化するのに時間がかかる
というタイプの人がいます。

事例1:
アスペルガー傾向のAさんは
頭の中にはたくさん情報があり
考えも言いたいのですが
それを言葉に変換して
外に出そうとすると
【思ったことと
  反対の意味になったり】
【正確に伝えられかったり】
【何を話しているか
  分からなくなったりして】
結局、話すことを諦めてしまいました。

事例2:
家族全員の口数が少なく
最低限の会話で育ったBさんは
小学校まではおしゃべりでしたが、
ある時「愚痴っぽいね」と
友達に指摘されました。
考えてみると、
家族が何かを話すときには
愚痴や不満、誰かの悪口ばかり
Bさんはそれが会話なのだと
自然に身についてしまっていました。
思春期に入ったころから
自分の話すことに自信がなくなって
必要最低限しか話さなくなりました。

事例3:
女子グループの中で
うまく付き合えているように見える
Cさんは、
時々話題を振られると
とんちんかんなことを言います。
だけどニコニコ愛想は良く
かわいらしい容姿から
「天然ちゃん」という感じで
みんなのマスコット的存在として
付き合いを続けてきました。
Cさんは、みんなの会話スピードが
速すぎて理解することができないので
みんなと違う自分が嫌いで
だけど周りに知られたくなかったので
ずっと内緒にして過ごしていました。

話すのが得意な人も苦手な人も
世の中にはたくさんいますよね。
その中で、
敢えて口数を減らす人もいれば
【話したいのに話せない人】
割と身近なところに
いるのだと知ってくださいね。

*****上品になれない理由*****
私が、自分のことを
絶対上品になれないと
断言している理由はですね……
【よくしゃべるから】ですwww

また、話し方にも関係していて
ふんわりとした、やわらかいような
言葉を選べる人は上品ですが
私の場合は
【的確・明快な話し方を
    目指しているので】
遠慮のない話し方になってしまいます。

もう一つ大切なのは
「しぐさ」ですね。
銀座のママとか素晴らしいです。
しなやかな動き方とか
顔の傾け方とか。
これは
【常に人に見られている意識】
持ち続けることで
改善できるかもしれませんが
自宅警備の私には無縁かも(-_-;)

といった感じで
今回は私の話も含めて
書いてみました。
上品になれないなんて
私も言いきっていますけれど
視点を変えてみると
【今はそれを求めていない】
とも言えるものです。

もしもあなたが
上品さを追究したいなら
参考になさってみてくださいね。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己改革

2021年01月19日

カウンセリングが必要ですか?

前回、カウンセリングが
不要不急にあたるのかについて
取り上げてみたので、
その話題が出れば
この質問が来るかな?という
テーマで行ってみますね。

カウンセリングの重要性は
特に昭和時代の人たちにとっては
不要なものと思われがちで
未だ賛否あるものなのですが
私は「必要」と思っています。

だとすると、
【どんな人に必要なのか?】
という疑問を持つ人も
いると思うのですよ。

まず、前回の不要不急という
渦中での必要性は
【生活に支障が出るかどうか】
という基準が挙げられます。

それは、目先の話ではなく
【長期的に見ても
  影響がありそうな場合】
つまり、
今は平気そうだけれど
今のこの抱え込みが
後々支障を来すと思われる場合も
含まれているということです。

これに関しては
「予防」の領域に思えますが
見方を変えてみると
【メンタル疾患の
  予備軍かもしれない】
そういう人の事前ケア、
とも考えられると思います。

また、
【病識のない人の場合は】
周りから病院を勧められたり
相談を勧められたりして
本人はよく分からないまま
ケアが始まることもあります。
(病識とは、自分自身が
  病気であることの意識です)
*****一緒に考えてください*****
どういった人に
カウンセリングの必要性があるか?
その結論ですが、
私は
【誰にでも】と答えます。

昔は、精神を患った人たちが
受けるものだと思っていたけれど
現代は、
【誰でも受けられる時代】
病気や疾患ではなくても
話を聞いてもらえるのです。
(経験者談)

ただ、不要不急を前提にすると
上記のように
生活への支障があるかどうか
今すぐの緊急性はどうか、など
色々考える必要はありますよね。

ですから、
本当に全くなんともない人には
カウンセリングは不要ですが
本人が望む場合には
【その目的をハッキリさせて】
受けられると良いと思います。

最後に、
予防的なカウンセリングについて。
目的もなくダラダラと
冷やかしのように利用するのは
あまり良いとは思えないのですが
それはそれで
「なぜ、そうしようと思ったのか?」
という部分にフォーカスすれば
カウンセリングは進んでいきます。

また、
日頃の気持ちの整理に使うと
【わずかな変化に
   気づきやすくなって】
自身に不調を来したときも
いち早く対応できる可能性が
高くなると思います。

このようなことから
誰に必要で誰に不要か、
という疑問は解決するかと思います。

今すぐではなくても
いつか利用するか迷ったときには
目安にしてみてくださいね。
posted by 心療カウンセラー長谷 at 12:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己改革